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2013年8月15日 さかもと手帳 Vol.42 《松村邦洋さんとの出会い》

2013年08月15日

 ものまねタレントの松村邦洋さんとは20年近い付き合いをさせてもらっています。出会いは光高校の野球部監督をしていた時のことです。ある日、光高の野球場で練習試合をしていたらレフトの金網の向こうからジーッと試合を見つめている人がいます。普通、試合を見にこられた方はバックネット裏のスタンドで観戦されるのに誰だろう。それにしてもよく太った人だなあ。あのような体型の人は友人にもいないし、教え子の中にもいない。たぶんライバル校の関係者が敵情偵察に来ているのだろうぐらいに思っていました。試合が終わった後、気になるので近づいてみるとテレビでおなじみの松村さんではありませんか。「あの弱小チームだった光高が、なぜ急速に力をつけてきたのか関心があるので、里帰りのついでにやって来た」とのことでした。彼は光市に近い山口県田布施町の出身です。
 せっかくだから選手たちに一言励ましの言葉をかけてもらえないかとお願いすると、快く応じてくれて例の掛布選手のものまねで延々としゃべってくれました。生徒たちは腹を抱えての爆笑の連続、思わぬご褒美に恵まれました。
 以来20年、我が家に何度も泊まりがけで遊びに来てくれたり、私の職場を陣中見舞いに訪れてくれたり、電話はしょっちゅうかかってきます。「カントク! マツムラデス!」(私は野球の監督をやめて15年にもなるのに、いまだに彼は私のことをカントクと呼びます)で始まる電話は、そのつど30分ぐらい続きますが、話題はプロ野球・高校野球・日本の歴史・山口県の歴史・・・様々な分野に及びますが、ものまねを交えながらのトークを独り占めできるわけですから贅沢な話です。とにかく博学、抜群の記憶力には感心させられます。そして突然、「ジャア カントク スミマセンデシタ」の彼の言葉で電話は終局を迎えますが、最後は私の「オウエンシチョルカラ ガンバテェーネ」と山口弁での一言で電話を切ることになります。それにしてもなぜ、私のような何の面白みもない者のところへ頻繁に電話をしてくるのか、たぶん、生き馬の目を抜くともいわれる東京での生活、その上、芸能界に身を置いていれば、神経をすり減らし、疲れ果ててしまう。そんな時、私の間延びした山口弁を聞くとホッとできるのかなと思います。
 『ふるさとの 訛りなつかし停車場の 人ごみの中に そを聴きにゆく』 石川啄木
  
 平成10年だったか、私は防府養護学校の生徒を引率して東京方面へ修学旅行に行きました。初日の夜、どうせ捉まらないだろうと思いつつ松村さんに電話を入れてみると、偶然、翌朝なら空いているとのことで、ぜひ生徒に会いに行くと言ってくれたのです。約束したとおり、早朝7時の朝食時に合わせて、寺門ジモンさんと二人で本郷のホテルを訪れてくれました。もちろん生徒には内緒にしていて、急にドアを開けて二人に登場してもらったものですから、子どもたちは一瞬キョトンとした後、間もなく蜂の巣をつついたような騒ぎになりました。そんな中、ものまねをしながら全員と握手を交わし、みんなにいきわたる様サインもしてくれました。記念写真も撮りました。1時間足らずの交流でしたが、生徒たちにとって、ディズニーランド以上の喜びだったようです。障害のある子どもたちは様々な苦難に出会いながらも、青春時代の楽しかった思い出を胸に、力強く生き続けてくれています。お疲れであったろうにあんなに朝早くから、1分も時間を違えず、良くぞ訪れてもらいました。心から感謝しています。
 折り目正しく、謙虚で、全てを善意に解釈し、決して人の悪口を言わない、そんな松村さんが私は大好きです。どんな世界で生きても、最も大切なのは人柄の良さですね。誰からも愛されるマッチヤンであり続けて欲しいものです。

二人で訪れた津田投手の記念碑を囲んで