MENU

新着情報

2013年10月1日 さかもと手帳 Vol.45 《鹿野高校》

2013年10月01日

  鹿野は山口県中部の山間部に位置し、県内最大の河川である錦川の上流端にあたり、豊かな自然に恵まれた地域です。古くから東西南北に街道が交差する要衝で、宿場町的な性格も持って栄えていたのでしょう。江戸から明治期の建物も残っており、由緒ある旧家が何軒もありました。そんな土地柄ですから、住民の方々の人柄も優しく穏やかなのですが、それでいて凛とした気構えを持っておられたように感じました。鹿野の地を心から愛し、故郷を誇りに思う気持ちが、このような気質を育んだのでしょう。とても一体感のある町でした。
 そのような町に在る、唯一の高校、鹿野高校の教頭として赴任したのは平成12年でした。地域の方々の所を挨拶回りしても、鹿野高校に対する思い入れは大変強いものがあり、責任の重さを痛感させられました。着任して職員室で過ごすようになってまず感じたのは、先生方は至極真面目で、教育熱心だが、やや覇気がない、なんとか先生方にもっともっと元気を出してもらいたいということでした。なぜこのような雰囲気になるのか、様子を見ていると、時の校長先生の学校運営の厳しさに起因しているようでした。校長先生は教育者としてとても立派な方であり、最後には県下屈指の大規模進学校の校長を務め上げられたほどの力量の持ち主であり、個人的に話せばとても魅力的な方でした。しかしながら、中山間地にある小規模高であるが故の問題も抱え、全てに物足りなさを感じておられたのでしょう。職員会議の席上でも、先生方をその場で叱り飛ばされます。特に気の弱い先生は、強く叱責されるとますます萎縮してしまいます。
 ところで、野球の投手と捕手を総称してバッテリーといいますが、なぜこのように言うのかご存知ですか?バッテリーとはそもそも蓄電池のことで、プラス極とマイナス極が備わっています。投手は「打てるものなら打ってみろ。」と強気に攻めるタイプ、いわゆるプラス思考の人でなければ務まらず、捕手は「ここは狙われているかもしれない、初めにこの球を投げて様子を見よう。」とか、用心に用心を重ねてリードするマイナス思考の人がふさわしい、この好対照の二人があいまって初めて結果が出せることから、投手と捕手のことをバッテリーというのだそうです。         
 校長と教頭、社長と副社長もしかりです。両者が同じタイプでは強い組織はできません。二人ともプラス思考では暴走してしまいかねないし、マイナス思考同士では覇気のない組織になってしまいます。
 教頭職の最も大切な任務は、校長を補佐することです。教頭としての私の急務は、活気に満ちた鹿野高教員集団作りと、校長の懐柔策を考えることでした。前者については、バドミントン・卓球・テニス・ソフトボール等のスポーツをしたり、地域のイベントに積極的に参加したりして気運を盛り上げていきました。後者については、校長を教員集団の輪の中に引き込むことに腐心しました。初めは苦戦を強いられましたが、次第に校長との間にあった壁も取り払われていきました。文化祭での教員劇で、端役ですが村びとの役での出演をお願いに行くと、あの堅物校長が乗り気になられて、台本にはない立小便のポーズまでされたのには、驚くと同時に、一体感醸成に手ごたえを感じたものでした。                    
 鹿野は雪の多いところですが、昔ほどには積もりません。ところがある年の冬、どか雪が降り、一面30センチ以上の雪に覆われました。バスも不通になり、徳山方面から通学する約半数の生徒が登校できず、地元の生徒からも登校不能の連絡が相次ぎ、授業は成立しなくなりました。校長先生は朝の職員朝礼で、登校している生徒には自習をさせるようにとの指示を出されましたが、職員室では、折角の大雪、雪像造り大会をしようではないかという話が持ち上がりました。どうせ校長には反対されるだろうと思いながらも、私は意を決して校長室に行き、思いを告げました。するとなんと校長はニヤリと笑い、「やるか」と言って立ち上がられたのです。生徒も教員も大はしゃぎ、アンパンマン(あまり似てなかった)・横たわる女体像(腰の曲線が見事だった)・岩国の錦帯橋(とても精巧な作りで、橋の下を流れる錦川には鵜が泳いでいた)・・・・様々な雪像ができました。校長先生も結構楽しんでおられたように見受けました。
 翌日から日差しが戻りましたが、鹿野の寒気が雪像を溶かさないように一生懸命守ってくれて、何日も原型をとどめました。それでも1週間を過ぎると次第に雪像は小さくなってゆき、形は崩れていってしまう、そんな無常なさまを見て、生徒たちもいろいろなことを思ったはずです。
 つい2・3年前、どこかの新聞の山口版に『鹿野高校で伝統の雪像作り大会』という記事が写真入で出ました。あの時、思いつきでやった「雪像造り」が学校行事として守り続けられているのだと知って、とても嬉しい思いをしたものです。


現在は、校名が「山口県立徳山高等学校鹿野校」になっています。

 
 
Home会社概要アクセスお問い合わせ